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グレーだった日々


今思うと

もしかしたら

物心ついた頃からずっと

常に心のどこかで

心から

楽しい

幸せ

居心地がいい

と思えてなかった様な気がします。

でも

不幸じゃ全然ないし

客観的に見て幸せな方だったと思います。

両親も健在で

まー普通?中流階級?

むしろなんなら中の上くらいだったかも。

食べることに困ったこともなく

虐待されたことも勿論ないし

お金持ちではなかったけど

ある程度の欲しいものや

やりたいことは手に入ったし

イジメにあった記憶もない

それなりに楽しいことも勿論ありました。

ま、とにかく

ふつー

でした。

でもね

常にどこかグレーなんです。

全てが。

心の中が。

自分の本当の居場所や幸せが

どこかにあるのではないか?

そんな漠然とした思い。

当時はそんなことは

勿論意識してはいなかったですが

今思うとね

常に『自分の居場所』

いや『自分』を探していた様な

そんな感じでした。

多分ね、本当、幼稚園児くらいから

そして

そんなグレーが嫌で

『バラ色』

とまでは言わなくても

『自分の幸せ色』にしたい!

という思いも強かった様に思います。

だからこそ

余計に心のモヤモヤが強かったのかな?

と思います。

そんな思いが溜まりに溜まり

爆発したのでしょうね(笑)

第一弾の爆発は大学生の時

2年生終了の後、1年間休学し

アメリカへ短期留学をします。

自分では全く覚えていないんですが

毎日コツコツと留学斡旋センター?的なとこへ通い詰め

全てを決めてから

ほとんど事後報告、という形で

親に話してお願いしたそうです。

これ本当に本人は全く覚えていないんですが(笑)

反対されることは目に見えていたのと

当時は何かに突き動かされる様に

自分でもよく分からないくらいの

エネルギーが出ていた様に思います。

元々は

小心者で超面倒臭がり屋で非社交的。

これ実は今でもなんです。

多くの方には信じてもらえませんけどね(笑)

人間て

本当にやりたいこと

もしくは

本当に嫌で嫌で変えたいこと

(こっちの方が原動力が強いですが)

そういう時って

スイッチがポンッ!と入ると

ものすごいエネルギーがでます。

そしてもう一つ

私の背中をぐいぐい押してくれていたのは

父の死。

その1、2年ほど前に父が急死しました。

人生、自分の命

いつどうなるか本当に分からない

ということは

以前から頭では分かっていたのですが

父の突然の死が

心の奥底に

「理解」ではなく

「感情」で響いたんですよね。

ガツン!と。

やりたいことは今やっておかないと!

という思い。

林先生よりずっと前に

『今でしょ!』と思ってましたよ(笑)

母には申し訳なかったのですが

こういう思いに突き動かされるように

自分で自分を止めることができないほどのエネルギーで

動いていた様に思います。

当初の予定では

半年ほどで英語に慣れたら(←甘い!甘すぎるっ!笑)

その時に興味を持っていた

特殊メークの専門学校へ通おうと思っていました。

そのまま、大学を辞めてもいい

とさえ思ってたんです。

そんなに甘くはなく

半年なんかでは

専門学校へ通うほどの英語力など上がらず

母親にも

大学だけは日本で出てくれ

と懇願され

結局、日本へ戻り大学復帰。

卒業後は知り合いを通じて

地味~~な会社へ就職をします。

そこで

コロッケ定食に出会うわけですが(笑)

心の爆発第2弾が起こるのは

その約4年後。再度単身アメリカへ渡ります。

その決断が

トムやブラピやジョニデへの道

に繋がるわけですが(笑)


ていうような

地味OL道からハリウッドまでの

私の道のりをメルマガにて書いています。



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